FXで300万失って退場(前編)
2011年の8月、約300万の口座資金のほぼすべてを失い轟沈しました。振り返ってみれば欠陥だらけの船でしたが、本人だけがそれを知らずにいました。まずまずの船とまずまずの天候に恵まれて、そう遠くないように思えた目的地へ意気揚々と出港したのです。
何度振り返ってみても失敗の原因ははっきりしません。ある特定のトレードが全体に影響したのも事実だし、始めから失敗の種をまき散らかしていた、と考えればそれも事実です。なのでここでは原因を突き止めるのをやめて、その時その時で何を思っていたか、それがどう影響したかを書いていこうと思います。
負けないためにかかせない感情のコントロールを養うのに、何か気づくことがあるかも知れませんから。
漠然とした目的地
目的地までの距離がわかっていなければ、旅の準備のしようがありません。目的地は遠くない気がしていましたが、漠然としていて「あそこらへん」みたいな感じでした。目標としては「FXで生活費をまかなうこと」だったと思います。本業が上手くいかなくなったときの保険という意味でも、副業で収入を得ることが必要だと思っていました。
生活の変化
2011年の1月に長男が生まれました。妻が子育てのため仕事をしばらく休むことになりました。自分もサポートのために仕事を休むことが多くなり、ますます副業について考えるようになったと思います。欲をかいたつもりは無かったものの、「FXに集中する時間があれば勝てるだろう」と楽観していた部分はありました。
謎の通貨ペア選び
2010~11年ごろは金融危機の雰囲気ががっつり残っていてかなり円高でした。1ドル50円まで円高が進むとまで騒がれていた頃です。自分の目にも円はしばらく高いままだろうと映りました。円高トレンドが終わるにしても、60円ぐらいまでオーバーシュートするだろうと。そこで選んだのが、[AUD/CHF]です。当時はまだ金利が高かった豪ドルと、日本と同じく低金利が続いていたスイスフランのペアです。スイスは国として成熟しきったイメージがあったので、日本よりもさらに金利が上がっていくのは難しいだろうという発想だったと思います。
当時意識していたのはスワップポイントの額と、週足チャートぐらいでした。確か1日130円ぐらい付いていたと思います。
トラリピのような作戦
当時はトラリピなんて無かったような気がしますが、発想は似たようなものでした。レンジの下限と思えばポジションを取り、反転すれば利益確定。上がらなければホールドでスワップを貯めようという、なかなか怪しい作戦でした。
確か2010年の11月頃から少しずつ買い集め、250万の証拠金に対し10枚ぐらい持っていたと思います。益の出たポジションをなんとなく利確し、含み損のポジションはそのまま放置でした。それでも序盤は口座の資金は増えていたので、自分では上手く立ち回っているつもりでいました。
東日本大震災の急落
そうこうしているうちに東日本大震災が発生しました。発生直後はさほどでもありませんでしたが、数日後の朝、一気に4円以上下げました。福島第一原発のリスクが現実のものになるにつれ、日本が終了するという予想のもと、円売りポジションが積みあがっていたようです。
自分が保有していたAUD/CHFも下げました。週足200MAを割り込んで危険を感じましたが、何もしませんでした。証拠金に余裕があると考えていたのと、下げたときにどうするかということをまじめに考えていなかったからです。
すぐに全戻し
しばらくすると急落した分はするすると値を戻し、翌週にはまた200日線を回復しました。結果から言えば、ここが最後の逃げ場だったわけですが、当時はそういう危機意識は全くなし。正しい航路は、「ここで船を下りて、70円台の円に乗り移る」でしたが、自分にはまるで見えませんでした。
数百年に1度の大災害をロスカットされずに生き残ったわけですから、むしろ反転攻勢に出る場面だとすら考えていたと思います。最低でも、今後数年間の横ばいは期待してもいいだろうと。最高値を更新してしまった円を避けて、スイスフランを選んだのも正解だったと自信を持っていたような気がします。
-4σを突き抜ける
しかし結果は・・・予想をはるかに超えるものでした。ボリンジャーバンドの-4シグマを突き抜ける、超特大の大津波が眼前に迫っていたのです!
後編に続きます・・・