FXで300万失って退場(後編)
では、その後何がどうなってロスカットになってしまったか、思い出せる限りではありますが書いていきたいと思います。前編はこちらです。
まず、東日本大震災の2ヵ月後、5月に入って生活に少し変化がありました。本業(自営業)の仕事量が減ってきたのです。ちょうど息子が生まれたばかりで、妻は産休中でしたから、かつかつの生活ではなかったとはいえ、自分が稼ぐ必要がありました。
もともと本業が、生活の為にやっているような仕事ですから、副業(ただのギャンブルでしたが)の可能性のほうに目移りしたのも当然だったかも知れません。
たった4枚が証拠金を圧迫する
そこで経験を積んだ気になっていたFXに、やや前のめりになったと思います。といっても、大したことはしていません。なくなってもいいお金ではなかったからです。
それを生活費として使うことはあっても、減らしたくないと思っていました。そこで自分なりに無難に考えてやったことは、たった4枚ポジションを追加しただけです。
5月の終わりに週足200日線上にいた、AUD/CHFを4枚いっぺんに買いました。トータルの買いポジションは15枚になり、証拠金はそこまでに獲得していたスワップと合わせると300万ぐらいになっていたと思います。
含み損は100万近くあったと思いますが、新規のポジションはある程度の利益(ここもあいまい)が出た時点で利確する予定だったので、口座が吹き飛ぶような心配はしていませんでした。
むしろ自分は必要な利益だけを得るための冷静な、欲張らない判断をしたとすら考えていたと思います。4枚増やしただけでロスカット?この辺りは経験しないとまず理解できないところです。
4枚増やしたところから下げ始める
それまでは確かにレンジに戻って横ばいを続けるような雰囲気だったのに、自分がポジションを増やした直後から雲行きがあやしくなってきました。
(追記中です・・・)
でも実際は・・・
枚数を増やした直後から下げ続け、
とうとう東日本大震災の下値を割りました。
矢印の下ひげの左、赤い下ひげが3月の下値です。
焦りました・・・
3月安値は割らないと決め付けていたからです。
そして、その時点ではもう、証拠金に余力が無く、
できることが何もありませんでした。
子供の夜泣きにイラつきながら、値が戻ることを祈っていました。
VIX指数が48まで暴騰!ボリバン-4σを突き抜ける急落が襲う
8月に入ると、もう半ばあきらめていました。
為替のことばかり考えて、疲れきっていました。
根が弱いため、あきらめて楽になろうとしていたのだと思います。
でもそういった輩を、市場は救いません。
8/6に追い討ちをかけるできごとがありました。
誰か覚えてますかね、米国債ショックです。
S&Pが米国債を「AAプラス」に格下げ、最上級失うのは史上初(ロイター)
ドルのセリングクライマックスには、
うってつけのネタだったと思います。
週明けの8月9日、
AUD/CHFは500pips以上の窓を開けて暴落。
朝、口座を見ると、全てのポジションが消え、30万円が残されていました。
結局は上のチャートの矢印のところ、
1000pips以上下げました。
その日は仕事で外出しました。
自分にうんざりしていました。
何もわかってないくせに、わかったように振舞って、
自分自身にがっかりでした。
家に帰ると、
息子がすやすや寝ていました。
その顔は天使のようでした。
しばらく見ていると、急に感情が込み上げてきて、
こらえきれずに、トイレに入って泣きました。
これはさすがに、
信仰心のない自分にもわかりました。
これはFXとか、金とかだけじゃなく、
自分の人生、ぬくぬくと、あいまいで、
覇気のない、中途半端な、
生きる姿勢に対しても、罰が下ったんだと。
追証にならなかったのは、
妻と息子が守ってくれたんでしょうか。
なんにしてもこの瞬間、自分は相場から強制退場となりました。